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ハンディキャップと
戦った選手たち


  オールドタイマーの中にはプロ野球自体が成り立つかどうかの瀬戸際で、権利問題やサラリー問題を含む諸問題と戦った選手たちがいました。
  しかしそれと同時に、現代ではプレーを続けにくいような身体的な問題を抱えながらも生活のためにプレーをした選手たちもいたのです。
  このコンテンツではそれらの選手たちを紹介していきたいと思います。

■ ヒュー・デイリー  1882〜1887  投手
■ ダミー・ホイ     1888〜1902 外野手・二塁手
■ ダミー・テイラー  1900〜1908 投手




ヒュー・デイリー  Hugh Ignatius Daily (One Arm)1862〜? メジャー活動1882〜1887(6年間)
投手。右投げ右打ち
  拳銃事故により左腕を失い隻腕であった。アストロズなどで活躍したジム・アボット投手の原型と言えるような選手である。「19世紀に隻腕の投手がいた”らしい”」と引き合いに出されることはたまにあったが、長い間詳しいことが判らず伝説視されていた。1883年に23勝、同年9月13日ノーヒットノーラン達成。翌84年7月7日、1試合19奪三振を達成、この年記録した483奪三振は1位、28勝も2位という大活躍だった。現在も引退後のことは不明である。

6年間で通算73勝87敗、防御率2.92. 奪三振王1回



ダミー・ホイ William Ellsworth "Dammy" Hoy 1862〜1961 メジャー活動1888〜1902(14年間)


外野手 右投げ左打ち
  身長160センチという決して恵まれた体格ではなく、耳が不自由と言うハンディキャップもあり審判のコールが聞こえなかったようだ。しかし、それらを乗り越えて長くメジャーで活躍した。俊足の持ち主で1888年には88盗塁、50盗塁以上も4回記録、選球眼も良く、1891年には最多四球117個を選び、また、90年から5年連続を含む9回の100得点を記録した。打率3割は1898、99年の2度だけだが、常に.280程度の安定した打率を残し、主にチャンスメーカーとして活躍した。

  余談だが99歳で始球式という記録を持っている。監督などとは筆談をしていたようだ。しかし、"Dammy"は差別的な意味合いをニックネームであり、頭の出来のことまでバカにされたりもした。なんと100歳の長寿を全うしている。
  長年視聴覚問題関連の団体は彼の野球殿堂入りを推薦しているが、1997年のベテラン委員会の選考でついに落選してしまった。しかし彼の地元のオハイオの野球殿堂には見事殿堂入りした。

通算14年間で通算.287、本塁打40、盗塁596で歴代19位。




ダミー・テイラー Luther Haden"Dammy"Taylor 1875〜1968 メジャー活動1900〜1908(9年)


投手 右投げ右打ち
  通算防御率は2.75と好成績のように見えるが、これは当時の野球バランスによるものだと思われる。20世紀初頭のジャイアンツは非常に強かったのだが、1901年はチームの敗北の33パーセントを一人で稼いでしまっている(27敗、18勝)。翌2年インディアンスに移籍するがすぐさま呼び戻されたようだ。
  そして翌03からは5年連続二桁勝利、04年は21勝、防御率2.34の好成績で、チーム106勝の記録に大きく貢献した。ちなみに監督のマグローのお気に入りだったようである。
  引退後はイリノイ州の聾唖学校のスタッフとして働いた。

通算防御率2.75 116勝106敗 主要タイトル獲得経験はなし。


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