


COBB
1995年 アメリカ
・管理人的解説
タイ・カップの自伝である『野球王タイ・カップ』(原題”TY COBB:My Life In Baseball”)のゴーストライターであったアル・スタンプという人物が、出版後30年以上たった1990年代になって告白したカップの「真の姿」を原作とした映画作品。
映画では、カップのプレーや野球人生うんぬんかんぬんよりも、自伝では描かれなかった家族との確執や、経済的に豊かであったにもかかわらず孤独な老人となっていたカップの晩年の姿などが描かれている。。つまり英雄的スポーツ選手としてのタイ・カップではなく、人間としてのカップの赤裸々な姿を映し出すことがテーマになっている。
主演のトミー・リー・ジョーンズはアメリカ映画界の異端児だが、『メン・イン・ブラック』などでも知られる名優。エキセントリックなカップを、凄まじい迫力で演じきっている。
監督はロン・シェルトン。自らもマイナー・リーグでプロ野球選手としてプレーした経験を活かし、『さよならゲーム』などの野球映画で名声を得ている。他の代表作はバスケットボール物である『ハードプレイ』、ゴルフを題材にした『ティン・カップ』などがある。
・あらすじ
物語は、自伝を書くためにタイ・カップに呼ばれた記者アル・スタンプが、アトランタの郊外にあるカップの自宅を訪ねるところから始まる。
ところが、大リーグの英雄であったカップは、とにもかくにも怒りっぽく、ギャンブルがしたくなると吹雪の中でも酒を飲みながら車をすっ飛ばして街まで出かけてゆく人物であった。スタンプはカップに、銃で脅されたりしながら(おいおい)カップのいいような自伝を書き進めていくが、同時にこの狂人じみた老雄の真の姿も密かに書き残してゆく。
アルコールに溺れ、常に現在(1950年代)の野球にケチをつけ、自慢話ばかりをするカップは野球の殿堂パーティーでも嫌われ、娘に面会を求めても拒否される。しかしスタンプはカップと行動を共にするうちに、カップの知られざる人間的な面も知ることになる。人知れぬ悲しみを振り払うために野球に打ち込んでいたこと・・・・そして、カップが貧困しているかつての野球仲間に定期的に送金をしていること・・・・などなど。
物語の途中で、スタンプが、自分の凶暴な面や家族とはうまくいかなかったことなどをも書き留めていたことを知ったカップは、死の床でスタンプに「お前の好きなように(自伝を)書け」と言い残す。
その後、スタンプはカップの野球人生を中心にカップの自伝を書くことを決意し、自身が密かに残した記事を封印。英雄としてのカップの姿を描いた自伝を世に送り出したのであった。
さて、解説が長くなってしまいました^^; カップ理解の資料としての映画の検証にまいりたいと思います。
エキセントリックなカップの人物描写に関してだが、個人的には「さもありなん」という感じだ。 某漫画の某目玉の警官よろしく、カップが拳銃を乱射している場面などは、人によっては大げさと取る向きがあると思う。しかしカップは現役時代に、自分に向かって罵詈雑言を吐いたレオ・ドローチャーに向かって試合後にショットガンをつきつけたくらいなので、拳銃ごときを使う描写はせいぜい「若干の脚色」程度のものである(カップって本当に凄い人ですね・・・・)。
他にも、カップは「電気代をケチるあまりに自家発電を試みそれで使用人を怪我させた」ことや、「使用人にやっと生活できるだけの給金しか払わなかった」とか、「牛乳屋や洗濯屋には自分の納得した金額の領収書を書かせるまで料金を払わなかった」などのエピソードが満載の人物なので、カップを知る人ならば、この映画を見たくらいではイチイチ驚いたりはしないだろう(?)。
映画の焦点のひとつでもあるカップの家族関係については、”球聖”の球歴や”球聖”そのアンビバレントな人物像である程度書かせていただいたので、ここでは詳しくは書かないが、映画に見えるカップの両親像は、ある意味で自伝とまったく異なる部分があるので、二つを両方見てみると多少考えさせられる部分もある。また、映画には娘を訪ねていって門前払いを食うシーンがあるが、実際にカップは二度の結婚生活に失敗し、子供たちはカップと決別していっている。ただ近年、アトランタでタイ・カップ記念館が落成したときには、カップの子孫の方が式典に参加していらっしゃったので、もしかしたら親族のなかで世代的にタイラス・レイモンド・カップを知らない人が増え、そのなかで彼を理解しようとする人も出てきているのかも知れない。
さて、最後になるが、映画では「ミッキー・カークラン」なる元大リーガーが登場している。殿堂パーティーにも出ているところから殿堂入りの選手なのだろう。役どころは、酒に溺れてカップに生活の援助をしてもらっている、格好がいいとは言い難い人物である。はて、この人はいったい誰だろうか?まさか往年の名捕手ミッキー・カクレーンではあるまい。しかし殿堂入りのリストを何回見直してもカクレーン以外に名前が似ている選手がいない・・・・・。「カークラン」の綴りがわからないので断定はできないが、どうにもカクレーンのような気がする。
それならば何故、カクレーンはカップに生活援助などを受けなくてはならないのだろうか??
確かに選手年金は、現在と違って厚いものではなかった。しかし、カクレーンは37年の引退後も、タイガースやヤンキースのスカウトを努め、アスレティックスのGMにもなっている。私の勉強不足であるが、果たしてカクレーンは生活に困っていたのだろうか・・?実際にカップはエド・キリアンなどに援助をしていたというのは知る人ぞ知る話だが、まさかカクレーンに・・・・。
細かいことかも知れないが、私がこの映画について引っかかる点はここである。
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