
![]()
「主の教えの次にアメリカ野球に強い影響を与えたもの、それは野球だ」
これはハーバート・フーバー大統領の言葉である。
文化人類学者の今福龍太は、「ホームベース<家郷>からの放浪者たち〜ベースボールとアメリカ〜」で次のように述べている(※1)。
「アメリカ合衆国のあらゆるチームスポーツのなかで、ベースボール以上に永続的な存在はありえない。それはアメリカという国家自体の永続性の象徴のようなものですらあって、その意味おいてすでにスポーツの一種であることを超えて、アメリカ社会の神聖な領域に属しているとさえ言える」
わが国においては、プロサッカーリーグであるJリーグの発足当初や、混迷期にある現在、プロ野球の将来に悲観的な見方をする人も多いが、今福はアメリカ野球の神聖さには「ベースボールの衰退と言うような発想を口にすることは、国家の威信に傷をつける不届きな非愛国者とみなされかねない」とまで述べている。
その「神聖さ」は野球の精神が、深くアメリカ国民の精神に影響を与えているからなのであり、その精神をアメリカでは父から子へとキャッチボールで繋ぐものだと信じられている。わが国でも、野球と父親を切り離して考えられる人はそうは多くないと思うが、その「伝えられる精神」がなんであるかをここでは考えていきたいと思う。
現代まで野球は、その一般的に信じられているイデオロギーの故に、社会の流動性を促進させ、若者を教化し、希望を与える役目を担ってきた。ジャッキー・ロビンソンの登用と活躍が、人種差別問題改善の偉大な一歩となったのはその端的な例であろう。そういった背景が作られるには、まず19世紀の識者たちがベースボールの持つ特性をアメリカ人の理想と結び付けてきたことにある。
うちひとつは民主主義である。個性の違う9人が同じ目標(勝利)に向かって行動し、個を同化することなくそれぞれの役割を果たしていく。ルールを守りながら自他を尊重することで、そこに「ひとつの民主主義」が生まれる、という考え方は、ベースボールの持つ大きな神話となっている。
この神話はアメリカの最良の数々の伝統的資質、、、競争心であり、忍耐力、誠実さ、権威を尊重する心、頑健な個人主義などの、辺境(フロンティア)で何世代も培われてきた精神とそのまま合致する。
民主主義の他の、もうひとつのアメリカ人の理想の精神となるのは農本主義である。田園を創造させる野球施設の名前−フィールド(野原)、グラウンド(土)、そしてパーク(公園)−をもつ野球の牧歌的且つ辺境的なイメージが、フレデリック・ターナーの貴重な論文を契機として生まれたフロンティア・スピリッツの考え方の恩恵に授かる形となった。それがよりアメリカに野球を浸透させる助けになったと言えるだろう。
ジョージ・マウリーは「都会生活より田園生活を重視する価値感」についてこう述べている。
「いなかが不思議にも人格を陶治し、愛国心を育むのに対して、都会はそれとは正反対に悪徳を生み出すといった農本主義的な考え方は、19世紀末までアメリカの民間伝承・政治・文学のなかにすっかり根を下ろしていた」(※2)
地方で形成される、農本主義、フロンティア・スピリッツ、あるいは古きよき時代の心などとも形容される理想の精神郡は野球の中に投影されて来たのである。
ベースボールはまた、ベンジャミン・ラッシュ、ベンジャミン・フランクリン、トマス・ジェファーソンなどの啓蒙思想家たちが説いた「健全な身体には健全な精神が宿る」というギリシャ的思想や、ペスタロッチを初めとしたヨーロッパ教育改革者の「若者の精神と身体の発達には、精力的な運動が重要である」というような考えにうまく乗ったおかげで、社会で好ましい役割を果たせることを示す知的根拠を得た。
現実には当時、地方で催されていたスポーツの多く、例えばボクシング競馬などは賭け事と切って切り離せぬものでったのだが、野球に関して言えば、ヘンリー・チャドウィックを初めとした19世紀中ごろの野球記者たちが賭博の撲滅に尽力していたことも裾野を広げるのに非常に大きな役割をはたした。1879年に誕生した史上2つ目のプロ野球リーグであるナショナル・リーグ(現在まで続いているナ・リーグである)も設立時に、賭博に厳しい規制を設けた。その成果として野球は、辺境のみならず名門のスクールでも取り上げられるスポーツとなっていった。
このようにして、アメリカで最初に発達したチームスポーツ・野球は19世紀末までには、フェアプレーの精神、個人主義と民主主義、そして愛郷心や健全さを代表とする農本主義を象徴するスポーツとして認められていった。
※1 西井一男編『日米・野球100年〜メジャーリーグのすべて』
※2 S,A,リース『プロ野球の社会的機能、20世紀初頭のアメリカ』